青稜中学校合格のAさん
合格率30%からの大逆転!両親と先生方の支えで、 第一志望に合格できました。
青稜中学校合格体験記
私が受験をしようと思ったきっかけは、4年生時、同級生の半分近くの人が受験を考えていることを知り、私も受験をしたいと思ったからです。私はバスケをやっています。勉強とバスケの両立がしたかったので集団塾は無理だと考えました。そこで、個別指導塾のプラドアカデミーに入塾しました。私の志望校は青稜中学校だけでした。受験勉強を進めていくと、とける問題が増えてきました。
6年生の7月。首都圏模試の結果が合格率80%をとれたのでとてもうれしかったです。あせることもありませんでした。夏休みは夏期講習には行ったけれど、それ以外のことはしませんでした。 9月の首都圏模試では、とても成績が悪かったです。7月の首都圏模試とくらべると、偏差値-10くらい、合格率は80%から40%に落ちました。
11月の首都圏模試では、9月の首都圏模試以上に成績が悪かったです。9月の首都圏模試とくらべると、偏差値-2、合格率は40%から30%に落ちました。とてもあせりました。このままでは合格できないと思いました。でも、あきらめませんでした。たくさん勉強しました。たまに自習にも行きました。 12月の首都圏模試。11月の首都圏模試とくらべると偏差値+4、合格率は30%から50%になり、成績は少しよくなりました。でも、半分の確率で合格できないのは信じたくありませんでした。それでもあきらめませんでした。今まで以上に勉強しました。朝は5時半までに起きて勉強し、バスケがない日は塾へ自習に行きました。
受験前最後のテスト。日能けんのテストでした。合格率80%をとることができました。受験前最後のテストでいい成績をとることができたので少し安心しました。 テスト以降も朝は5時半までに起きて、バスケがない日は自習に行く生活を2月1日の受験日まで続けました。
2月2日にはバスケの最後の試合があるので、2月1日に合格しなければいけませんでした。
2月1日、受験本番。とても集中できました。プラドアカデミーで教わったことを思い出して、あせらずに試験を受けることができました。 合格者の中から自分の受験番号を見つけたとき、今までで1番うれしくなりました。感謝の気持ちでいっぱいでした。
私がこうやってあきらめずに勉強し、志望校に合格できたのは、先生方やお父さん、お母さんなどの支えがあったからだと思っています。ありがとうございました。(2020)